2008年10月11日土曜日

10/11 Today ヤミ米を食べることを拒んだ正義派判事が餓死(1947)

山口良忠 - Wikipedia: "山口 良忠(やまぐち よしただ、1913年11月16日 - 1947年10月11日)は東京地裁の判事。佐賀県出身。太平洋戦争の終戦後の食糧難の時代に、闇米を拒否して食糧管理法に沿った配給食糧のみを食べ続け、栄養失調で死亡した事で知られる。"
この事件はいろいろ考えさせられる。重要なことは当時の日本でも食糧は何とか全員が食うぐらいの量は生産できていたということ。食糧がヤミに回ってしまったことがこの悲劇を呼んだのである。

当時の日本は外国からの食糧輸入が禁じられていたので「地産地消」するしかなかった。でももともと農業国だったので、全体としては国内で作る食糧はなんとか国民全員が飢え死にしないですむだけの量はあった。しかし、農村部では大規模な「売り惜しみ」が発生。ほとんどの食糧は配給には回らず高値で売れるヤミに回ったのである。おかげで都市住民は配給米だけでは生きることが出来なくなってしまった。

現代日本では食料自給率の低下が危惧されるとして「地産地消」運動が盛ん。しかし仮に戦前並みに食料自給率が上がったとしても、有事となると途端に産地では「売り惜しみ」が発生し、都市住民は飢え、西陣の着物をコメ一升と交換するはめになってしまうのだ。

有事の時に国民が餓えないために重要なことは、決して「地産地消」政策ではなく、自由貿易と海外の安定供給元の確保なのである。これは歴史が証明しているのである。

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